原動力

がある。
家の中が殺伐としてた時期に、幼かったあたしはその空気がどうしても耐えきれなくてい
つも家族の前でバカみたいなことばかりしてた。少しでも空気が和らぐように必死で学校
にいても家にいても毎日くたくただった。
夜中に顔を枕に押しつけて何度も泣いた。もうやだ、苦しい、って何回も思った。
同じように夜中に泣いてた夜に、隣の部屋からお父さんとお母さんの声が聞こえてきた
の。真剣な声で、苛められて荒れてたお姉ちゃんのことを話してた。「あたしのことは見
てくれないの?」ってすごく悲しくて…だけどその後に言ってたね?「○○には酷な時期
だよな。一番目をかけて欲しい時なのに、お姉ちゃんにしか家族みんなにの目が向かなく
て。」「あの子も苦しいだろうに、笑顔で毎日明るく振る舞ってくれて。親としては頭が
下がる、申し訳ないけど今はあの子の優しさに助けられてる」、だったっけ?
すごく、本当にすごく嬉しかった。ちゃんと見ててくれるんだって思えたよ。
あれから家の中も落ち着いて、あたしも大きくなって家を離れて暮らすようになって。そ
の間に幾つも苦しい時期があったけど、いつだってお父さんとお母さんの深い愛情に支え
られてきました。生意気なあたしをいつだって信じて見守ってきてくれた。本当に心の底
から感謝してます。
お父さんが初めて泣いた日も、お母さんが初めて泣いた日も、どっちも覚えてる。今な
ら、二人がどんな苦労を乗り越えてきたのかも昔よりは分かるんだ。
あたしはいつだって、家族みんなに愛されてるし支えられてる。そう思えば、何だってで
きるし頑張れるの。
我儘で迷惑も心配もかけ通しの娘だけど、
家族みんながあたしの誇りです。たくさんの気持ちがあたしの原動力だよ。
あえて苦労した話はしません。ただ、大切な人に真っ直ぐ向き合えるような自分でいたい
と思う気持ちを忘れないために投稿させていただきました。

その言葉

近所の人はいつも優しく遊び相手になってくれるし友達もたくさんいた。
ただ授業参観は苦しかった。
そんなある日父が再婚し自分は父と暮らす事に。期待より不安が大きい…案の定だった。
子供が出来ると孤立する。距離をおいたのはこちらからだ。その空間にいるのがつらく
て、家族の存在が難しくて、毎日泣いた。
数年後…大好きなばあちゃんが入院した。
学校帰りにいつも寄って「病院は暇だ」と愚痴を聞いていた。
そんなある日ばあちゃんが優しい顔で「無理せんでいいよ。甘えたい時には甘えなさい。
ばあちゃんもじいちゃんもあんたの味方やけん。小さい時から強がって…我慢もしてきた
んやからばあちゃんはあんたのためならなんでもするよ。やからばあちゃんにだけは甘え
てね。」
その言葉が1番の救いだった。病室はとても静かで夕日が消える時間になっていた。
「もう遅いけん帰りな」
涙をこらえて病室を出た。自転車に乗って暗い道を家に向かってこぐ。一瞬気が緩み涙が

時計

昔はよく話したり祖父とはしてたんですが、高校になってから、ほとんど口も聞かない
し、たまにはささいな事で喧嘩までしていました。      あるとき、広告のチラシ
を見ていて、とてもかわいい時計を見つけました。買うにも値段が高いし、親に頼んでも
もちろん無理でした。           それから何日かして、学校から帰ってきた
私を祖父が呼び止めて、綺麗に包装してある箱をくれました。開けてみると、そこには時
計がはいっていました。そのときくれた時計は、ほしかったのとは全然違うし、若い子が
つけるものじゃありませんでした。祖父は  「時計欲しいいいよったけん、買ったんや
けどな」と言いました。      それから半年もせず、祖父は亡くなりました。  
 おじいちゃん、喧嘩ばっかりして嫌な事ゆーたりもしてごめんね!あの時計の時から七

温かいクリスマス

田舎で間違っても裕福じゃなかった
けど温かい食卓を家族7人で囲んでた
クリスマスだって…プレゼントはサンタさんのブーツにお菓子が入ってるのだけで、どんだけ嬉しかったか
サンタさんマジで居るって純朴に信じてたし、兄弟もそんな妹の夢を壊さない…今思えば優しい兄弟だョ
私…母は産むつもりなかったけど、じぃちゃんが産みなっせ、育てるけんと言ってくれたから産まれたの
有言実行…オシメも換えて、ミルクも飲ませてくれた
最近じゃ村のメンズいち高齢になり、やんわり痴呆だけど昇が好き
先に逝ったけどヨシメ、ありがとういつも共働きのお母さんに変わって躾もしてくれたし、甘えも許してくれたよね
今、私が夫婦二人幸せに居られるのはばぁちゃんの知恵のお陰
そう…私はじいちゃんとばぁちゃんが居たから幸せなんだ