仕事で忙しい夫に「子育て手伝う気ないね」と言ったら「その分稼いできてんだろ。お前は俺の仕事手伝えないだろうが!」と返された

309: 名無しの心子知らず 2014/03/01(土) 23:58:11.59 ID:10il7kLm
兼業の話題のところ、書きにくいんですが、
最近憂うつさが増していて、どうにも気分が上がらない。
子供が発達障害だったりして、私もそれ絡みで精神科通院してたりするので専業なんだが、
子供の入学準備を全て1人でやらなければならないのがつらい。
土日はどこ行っても家族連れが目に入る…のにはさすがに慣れた。
けど、ダンナは全く手伝う気がないらしい。
入学用に本棚買わなくちゃならないんだけど、その話したら、「おもちゃ箱のおもちゃ、整理してからにしたら?」と、完全に他人事。
「全く手伝う気ないんだね」と言ったら、 
「忙しいもんで。その分お金稼いできてるでしょ。
それにお前は俺の仕事手伝えないでしょ」と。
どうしても手伝ってもらいたいという訳ではないし、
手伝えないだろうとは思ってる。
だけど…なんというか、ものには言い方ってもんがあると思うのだが。
せめて「1人でやらせてごめんね」とか、
「手伝えなくてごめんね」くらい言ってくれたらまだ気分も少しは晴れるのに。
「子連れであれこれ買うには、気持ちに勢いある時でないとしんどいから、
もう今のうちに買っちゃう」と言ったら、
それはダメ、整理してからだとだけ言われた。
やらないくせにスケジュール勝手に決めないでほしい。
子供部屋の整理もしなくてはならないし、学用品買いに行って名前付けて、リビング片付けて、
子供が登下校の際やりやすいようにレイアウト考えて…。
それ全てやらなきゃと思うと気が重い。
確かに稼ぎを持ってきてくれるから、そのおかげではあるんだけど、
仕事代われないでしょとか、稼いでるから働かずに済むんだよとか言われると、
正論なだけに何も言えなくなり、1人で背負わなくてはならなくなるのがしんどい。

310: 名無しの心子知らず 2014/03/02(日) 00:41:48.64 ID:006Uxp7W
>>309
大変なのにすごく頑張ってると思うし
家事を一切しないのに口だけだす旦那さんも酷いとは思う
だけど言い方と言うならあなたも激務の旦那さんに「全く手伝う気ないんだね」はないと思うな

「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」

139 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 17:17:34.34 ID:jEftDiJ40
俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。
高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・

会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると
母の口が動いた。何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。
「ママの作ったスパゲッティー大好き!」
口の周りを赤くしてスパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。

原動力

がある。
家の中が殺伐としてた時期に、幼かったあたしはその空気がどうしても耐えきれなくてい
つも家族の前でバカみたいなことばかりしてた。少しでも空気が和らぐように必死で学校
にいても家にいても毎日くたくただった。
夜中に顔を枕に押しつけて何度も泣いた。もうやだ、苦しい、って何回も思った。
同じように夜中に泣いてた夜に、隣の部屋からお父さんとお母さんの声が聞こえてきた
の。真剣な声で、苛められて荒れてたお姉ちゃんのことを話してた。「あたしのことは見
てくれないの?」ってすごく悲しくて…だけどその後に言ってたね?「○○には酷な時期
だよな。一番目をかけて欲しい時なのに、お姉ちゃんにしか家族みんなにの目が向かなく
て。」「あの子も苦しいだろうに、笑顔で毎日明るく振る舞ってくれて。親としては頭が
下がる、申し訳ないけど今はあの子の優しさに助けられてる」、だったっけ?
すごく、本当にすごく嬉しかった。ちゃんと見ててくれるんだって思えたよ。
あれから家の中も落ち着いて、あたしも大きくなって家を離れて暮らすようになって。そ
の間に幾つも苦しい時期があったけど、いつだってお父さんとお母さんの深い愛情に支え
られてきました。生意気なあたしをいつだって信じて見守ってきてくれた。本当に心の底
から感謝してます。
お父さんが初めて泣いた日も、お母さんが初めて泣いた日も、どっちも覚えてる。今な
ら、二人がどんな苦労を乗り越えてきたのかも昔よりは分かるんだ。
あたしはいつだって、家族みんなに愛されてるし支えられてる。そう思えば、何だってで
きるし頑張れるの。
我儘で迷惑も心配もかけ通しの娘だけど、
家族みんながあたしの誇りです。たくさんの気持ちがあたしの原動力だよ。
あえて苦労した話はしません。ただ、大切な人に真っ直ぐ向き合えるような自分でいたい
と思う気持ちを忘れないために投稿させていただきました。

バイクに乗ったサンタさん

591 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2011/11/03(木) 20:02:27.58 ID:g5rysqqu
ちょっと上にバイクの話が出てたのと、時期的に近いのもあって昔の話を一つ。

10年ほど前、大学を卒業し、社会人として上京した最初の年。
知らない土地で周囲に気を許せる様な人もおらず、慣れない仕事に四苦八苦していた。
年末も仕事がぎっしり入っており連日残業、折角のクリスマスも職場を出たのは23時頃。
帰りにコンビニで買い物して外に出ると、雪まで降る始末。
いつまでも仕事で成果を上げられず、毎日目の前の業務に忙殺されて、愚痴も相談も聞いてくれる人も見つけられず、
世間は浮かれている中自分は遅くまで残業して、さぁ帰ろうかと言う時に雪まで降って、
寒いやら惨めやら情けないやらで、建物の横の暗がりでしゃがみこんでしまった。

どれ位そうしていたか、突然眩しい光に照らされて思わず顔を上げた。
どうやらバイクが入ってきた様だが、よくよく見ると乗ってる人はサンタの格好をしている。
呆気にとられてついまじまじと見言っていると、それに気付いたかバイク乗りの方は
「メリ~クリスマ~ス」
とにこやかに声をかけてくる。以前呆然として声も出ない私。
「…おや、元気ないね。ちょっと待ってて」
バイク乗りの方はコンビニに入ったと思ったらすぐに出てきて、
「コーヒーとお茶、どっちがいい?あぁ、クリスマスプレゼントだから受け取って。しょぼいけど」
つられてお茶を頂いて一口飲んだ。じんわりと暖かかった。
「いや~クリスマスがなんだってんだよねえ」
「俺、予定もやる事も何もないもんだからさ、ついついこんなカッコでうろついてたんだ」
「そしたら街中での人気っぷりったら。プライベートはからっきしなのにね~」

と明るい調子で話し始めた。彼の自虐を交えたジョークなんかもあり、ついつい噴き出してしまった。
そんな感じで暫く立ち話をした後、彼はヘルメットに付けていたサンタ帽をはがして、
「ゴミになる様だったら捨ててくれていいよ、手間かけて悪いけど。」
と私に被せて、
「お詫びと言っては何だけど、貴方が泣いていた理由を俺が持って行ってあげるよ、なんつってね」
と最後まで調子の良い感じで、バイクで走り去って行った。帽子の中にはチロルチョコが2個入っていた。

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おじいちゃんが癌になったというので久々に訪ねた

21 :呑んべぇさん :03/10/13 20:11
おじいちゃんが癌になったというので久々に訪ねた。 
帰りに俺の帰りをいつまでも玄関先で見送ってくれた。 
家に帰る途中立ち飲み屋で少し飲んで行こうと思い 
俺は隅の方へ。熱燗に鯨のベーコン。酒を飲みだすと 
おじいちゃんの姿が目に浮かびその場で涙が溢れてきた。 
小さいときから可愛がってくれたおじいちゃん。 
もう二人で飲むこともできなくなるんだなって。 
身内の葬式をまだ経験してない俺にはしょっぱい酒だった。 

祖父は戦争中に列車事故にあい、片足を切断していたけど、今のように高品質な義足のない時代に重たい義足をつけて杖をつきながら、私や弟を可愛がってくれていた。

475: 名無し三等兵 ID:gf+XwN4D
28 :おさかなくわえた名無しさん :01/12/10 13:37 ID:Rd3fMM0P
小学校に上がるまえに祖父が亡くなった。
祖父は戦争中に列車事故にあい、片足を切断していたけど
今のように高品質な義足のない時代に
重たい義足をつけて杖をつきながら、私や弟を可愛がってくれていた。
何時の頃からか家の仏壇の前には
祖父の命日頃になる高価なお線香と共に一通の手紙が添えられていた。
やがて祖父が亡くなってから25年は過ぎ、私も結婚し子供も出来た頃
長年同じように仏壇に供えられる手紙の疑問を母に尋ねてみた。
その手紙とお線香は祖父の戦友であった人からの毎年の贈り物だったそうだ。
添えられる手紙もその人がまるで祖父が生きているかの如く語りかけているような
読む人が涙を流さずにはおれないほどに、切々と心情を達筆な字で
便箋にびっしりと書き綴ってあった。

母も毎年そうやって頂く手紙は祖父も待ち望んでいると思い 
毎年お仏壇に供え、またその手紙の主が少しでも長生きしてくれることを祈っていた。 
結婚して実家から離れた場所に住んでも 
実家に帰るたび、僭越ながらも祖父の代わりに読ませてもらい 
祖父の分も長生きをしてくれる事を私も祈っていた。 
そしてとうとう祖父の戦友であった人のご子息から訃報が届いた。 
祖父の命日に手紙とお線香が届き出して30年は経っていた。 
戦地で生死を共にした祖父とその友人は今頃はあの世と言われる場所で 
きっと酒でも酌み交わしているに違いないと思う。 
亡くなってからも30年経っても一向に友情が薄れることのなかった祖父達。 
今はもうお仏壇に供えられる手紙はないけれども 
そんな祖父を持った事を誇らしく思う。 
子供達にも必ず話して聞かせようと決めている。 

既出だったらごめん。生活板からの転載っす。

娘に自分の切った髪を指して「これ、パパにあげれんかな?」って言われた(´;ω;`)

75 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2013/04/20(土) 14:36:53.86
小4の娘をさっき髪切りに連れてったんだけど
終わってから、落ちている結構な量の髪を見て

「これ、パパにあげれんかな?」
っていわれた(´・ω・`)
パパは優しい娘でうれしいよ(´・ω・`)