今年、母が亡くなった。

今年、母が亡くなった。
遅い反抗期だったと思う。

中学生まで親に逆らわず良い子だった俺が、高校生になり急に親に反抗するようになった。 

母親には罵声を浴びせ、家に帰らない日々が続いた。
高校卒業と同時に家出同然に実家を出た。

最初のうちはそれでも住所くらいは伝えていたが、住所を何度か変えるうち

いつの間にか両親との連絡は一切途絶えてしまっていた。
唯一電話番号を教えていた(それでも一切連絡のなかった)弟から電話が来たのは、俺の彼女のお腹に子供がいることが判明した今年2月の事だった。
母が倒れたと言う。

両親に対する反抗心はもうなかったが、いまさら帰るのは正直億劫だった。

母が深刻な状態などとは思ってもいなかった。

それでも行く気になったのは、彼女を紹介しようと考えたからだ。
母親が亡くなったのは、翌日俺たちが高速道路を走っている頃だったらしい。
久しぶりに会った親父はひどく小さな背中をしていた。

相変わらずの無骨な声で、「よう」だか「おう」だか一言発しただけだった。

母は俺の記憶とは全く違う老いた顔で、それでも安らかな表情で眠っていた。

涙は出なかった。

葬儀も終わって一週間位たった頃、親父から俺宛にひとつの段ボール箱が届いた。

中身は父の無骨な字で書かれた「母さんの形見だ」というメッセージと大量の手紙、そして、ひとつの指輪だった。

百通以上はあろうかという手紙は、すべて母が俺に宛てて書いたもので、俺が家を出た頃から書いていたらしい。

母らしい丁寧な字で、ひたすら俺のことを心配する、そして自分の不甲斐なさを俺に詫びる内容だった。

それらの手紙は、親父らしからぬ几帳面さできちんと順番に梱包されていた。
同封されていた指輪にも一通の手紙が添えられていた。
「この指輪は、私のお母さん、つまりあなたのおばあちゃんの形見です。

私が結婚するときにもらったものです。あなたにいい人ができたら、

この指輪をプレゼントしてあげてください。私の両親や私たちのように、

幸せな家庭を築いてください。」
俺は指輪と手紙を彼女に渡して、黙って寝室に行った。
しばらくして彼女が真っ暗な部屋に入ってきて、俺の背中に背中を合わせて座った。

すすり泣いていた。
その時、「あぁ、泣いてもいいんだ」と思った。

涙が出てきた。

止まらなかった。
母さんごめんな。

そしてありがとう。
生まれてくる娘の名前には、あなたから一文字頂きます。

あなたに返せなかった愛情を、そのぶんこの子に与えられるように。

そして、あなたの優しさや強さをこの子に伝えるために。 


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