ドナルドダック

二度の脳梗塞で重度の障害が残った夫は、狭心症発作を繰り返しながら
自宅療養を続けている。人との接触を求めて、時々外出する。

冬の一日、急に思い立って遊園地へ行った。
広場の隅に車椅子を止め、私は傍らに立って元気に走り回る
子供達を見ていた。思ったより寒く、早く帰らねばと思った。
その時広場に歓声があがった。ドナルドダックの着ぐるみを着た人が現れ、子供達がどっと駆け寄ったのだ。
ところがそのあひるさんは、子供達をかき分けてどんどん駆けて、
こちらへ近付いてくる。広場の隅にいる私たちの方へ……。
車椅子に乗った夫の前へ来ると、大きく一礼して大きな手で夫の背中を撫でてくれる。
二度、三度、突然の出来事に私達も周りの人も驚いた。
夫の背中を大きく撫でて、今度は私の腕をさすり、両手で包み込んでくれる。

私がまだ小3くらいで、はじめてディズニーランドに行った時のこと。
長女の私は、妹と弟を連れて3人でスモールワールドに向かいました。
子供3人で並んで(親は別の場所で休憩していた)、キャストさんに「何名ですか?」と聞かれ、
「3人です」と。
「お母さんは?」「一緒じゃないんですけど・・・」「そう?困ったわね、このアトラクションは子供だけじゃ乗れないのよ。ごめんなさいね」
と、帰りかけたその時。私たちの後ろに並んでいた家族のお父さんが
「じゃあ、私が一緒に見ますから、乗せてあげてください」と言ってくれたのです。
諦めて帰りかけていたので、3人で凄く喜んで何度もお礼を言ったのはいうまでもありません。
アトラクションを出て、お名前も聞けず去って行かれましたが、あのことは十年以上たった今でも覚えています。

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25年間、ずっとずっとTDLに行きたいと思っていたのに、中々いけなかった。
親は遊園地なんて連れてってくれる親じゃなかったし、それまでの彼氏はみな「混んでるから行きたくない」とか「いつか連れてくよ~」と言われたが、行けなかった。

そんなこんなで25年の月日が流れ、会社でフとそんな話をした。
すると当時新入社員だった男の子が(私は古株事務員)
「俺も行った事ないんで、いきましょう!」と誘ってくれた。
細かく日時まで決めてくれて、パスポートまで(前売りかな?)を探してくれたみたいだが、
丁度お盆だったので、とれなかった様子。
「また今度でいいよ?」と言うと「じゃ、とりあえず入れなくてもいいから行ってみましょう」と
言ってくれた。
ずっとずっと夢みてきたTDL。前日の夜は一睡も出来なかった。

関東のとある県から朝6時に出発。高速でいけばいいのに、何故か一般道路で行ってしまった。
その上、なんだか道に迷ってしまって、TDLにやっと着いたのが午後3時を過ぎていた。
入場制限があり、次に入場出来るのは午後5時から、とのこと。
でも初めてのTDLに、入り口だけで感動してた。
やっと中に入ると、まさに夢の世界。すごく長い待ち時間も、全然苦にならない。
一緒に行ってくれた会社の男の子も、待ち時間を嫌がらずに、一緒に楽しんでくれた。

そして何故かパスポート入れを一生懸命探したけれど、全然みつからず、手に持って
歩いていたら、やっぱり私が落とした。けれど後一時間くらいで閉園の時間だったので
どこのキャストさんも「いいですよ~~」と笑顔で通してくれた。

長くなりましたが、その会社の子はTDLに行った数ヵ月後、彼氏になりました。
今では二人のものすごくいい思い出です。初めて一緒に行った人が彼で良かった。
そして、本当に夢の世界にきたみたいで、混んでいたのに嫌な思いを一つもしないで、
いい思い出をくれたTDLの方々。ありがとう。

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私の父は四年前、私が中二のときに長年患っていた病気で亡くなりました。

父は昔受けた、手術の時の輸血でC型肝炎に感染、肝硬変を患っていました。
父の病状は私が生まれてからはそれなりに安定していたのですが、
私が小学生に上がるとき、体調を崩して入院しました。
病状はかなり悪かったようで、一時は危篤にもなり、
母は『もって五日です。』と医者に言われたそうです。

母は私に泣きながら言いました。
『あなたのお父さんは他のお父さんより早く死んでしまうかもしれないけど、他のお父さんと同じようにあなたを愛しているの。
他のお父さんよりちょっと一緒にいる時間が少ないだけなの。
お父さんは自分の寿命が他の人ほど長くないのを知ってたから、
あなたに短い時間でたくさんの思い出を残そうと思って
沢山旅行につれて行ってくれるのよ。』
その時初めて私は、私たち一家が他の友達の家より
はるかに沢山の旅行をしている理由を知りました。

その沢山の旅行の中でも我が家のお気に入りはランドでした。
父は奇跡的に危篤の状態を脱し、徐々に回復していきました。

その年の冬、父が入院中に外泊をした時に、家族でランドへいきました。

私が『どうしてうちはいつも旅行って言うとランドなの?』と聞くと、
父は『嫌な事を全部忘れられるからだよ。』と答えました。
小さかった私にはその答えの意味がよくわかりませんでした。

私は久しぶりに父と一日中過ごせることが嬉しくて
いつも以上にはしゃいで遊びました。
でも帰る頃には私の心は真っ暗闇でした。
私は旅行が楽しすぎて、不安になってしまったのです。

父と過ごす楽しいこんな旅行は一体後何回あるのだろう?
そう思うと悲しくて自然と涙が出てきました。
父も母も私を心配して『どうしたの?』と聞きましたが、
『お父さんが死ぬのが怖い。』と答えるわけにも行かず、
『お父さんがまた病院に帰ってしまうのが寂しい。』と答えました。

父は無事退院し、何度も入退院を繰り返しましたが、
その間に何度もランドへ行っては楽しい思い出を作りました。
私は小学校高学年になり、中学受験を控える身となりました。
塾で忙しく、今までのようにランドへ行くわけにはいかなくなりました。

『○○(私)の受験が終わったらまたディズニーランドへいこうな。』
それが父の口癖でした。

そして受験を数日後に控えたある日、父は血を吐いて緊急入院しました。
『お父さんに最後に良い知らせ(合格)を聞かせてあげてね。』
医者が私に言いました。

訳がわからないまま受験の日を向かえ、合格発表の日を迎え、
私は無事志望校に合格し、父もまた奇跡的に危篤の状態を脱しました。

しかし以前のようにランドへ行って遊ぶ体力は父にはありませんでした。
またいつ病状が悪化しても良いようにと、旅行は病院から二時間以内の所に限られました。
残念なことに、ランドは二時間以内のところにはありませんでした。
京都や大阪へ何度か旅行するうちに一年と少したち、父はまた入院しました。
母は病院に泊まりこみ、私は親戚の家へ預けられました。

父は25年の闘病生活で、3度奇跡の回復をしました。
一回目は私が生まれる前、そして小1のときと中学受験のとき。
四度目の奇跡は、ありませんでした。
結局父はそのまま、退院することはできず、帰らぬ人となりました。

一年間の喪が明け、私と母はランドへ行きました。
父なしでランドへ行くのは初めてでした。
はじめは父なしで楽しむことなんてできるだろうか?と思いましたが、
ゲートをくぐったとたん、私のそんな不安はなくなりました。

ランドは父がいた頃と変わらず私たち母子を迎えてくれました。
ランドの至る所に父と過ごした思い出があって、胸が熱くなりました。
『お父さんと一緒に乗ったな』とか『お父さん、これ好きだったな』とか。
普段思い出せないような父の笑顔や笑い声までが鮮やかに思い出せました。
私は母と『毎年ランドにいこうね』と約束しました。

私は今年大学受験なので、今年はランドに行くことはできませんが、
受験が無事終わったら真っ先にランドへ行きたいな、と思います。

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2月に家族でシーに行きました。
前の晩、娘(年長)が「ミッキーとミニーにお手紙渡すの~」と
一生懸命書いていました。
ミッキーやミニーは人気者で、すごい人だと思うから多分無理だよって言うのも聞かずに。

初めて行ったシーは子連れが少なくて、少し場違いのような印象すら受けました。
偶然、見つけることが出来たミニーも、取り囲んでいるのは大人の女性ばかりで、
子連れが近づいてもいいかな・・・という感じだったんですが、
人ごみの外から娘が「ミニー!ミニー!」と呼んだら、サッとかき分けて出てきてくれて、
「これね、お手紙。ミニーにあげる。それからこれね、ミッキーへのお手紙だから渡しておいて!」
という娘を見て、周囲の人はドッと笑ったのに、
ミニーは受け取った手紙を胸にあてて、すごく喜んでくれていました。
何が書いてあるかも判読できないような手紙だったのに。
娘は帰宅後「ミニーがお手紙ありがとうって言ってた!」(本当は言ってないんですけど)
と人に会うたびに話していました。
大きくなってもそういうことって忘れないんだろうな・・・
あの時のミニー、ありがとう。

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二度の脳梗塞で重度の障害が残った夫は、狭心症発作を繰り返しながら
自宅療養を続けている。人との接触を求めて、時々外出する。

冬の一日、急に思い立って遊園地へ行った。
広場の隅に車椅子を止め、私は傍らに立って元気に走り回る
子供達を見ていた。思ったより寒く、早く帰らねばと思った。
その時広場に歓声があがった。ドナルドダックの着ぐるみを着た人が
現れ、子供達がどっと駆け寄ったのだ。
ところがそのあひるさんは、子供達をかき分けてどんどん駆けて、
こちらへ近付いてくる。広場の隅にいる私たちの方へ……。
車椅子に乗った夫の前へ来ると、大きく一礼して大きな手で
夫の背中を撫でてくれる。
二度、三度、突然の出来事に私達も周りの人も驚いた。
夫の背中を大きく撫でて、今度は私の腕をさすり、両手で包み込んでくれる。

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大きな白い温かい手で……。優しさが老二人を包み、その温かさが
周りに広がり、見ていた人達の間から拍手が起こった。
夫の顔を見ると、涙がほろほろ頬を伝っている。風の冷たさを忘れた。

「優しさをありがとう」と言うのが精一杯の感謝の言葉。
あひるさんはウンウンと頷いてもう一度夫の背中を撫でて、
子供達の方へ駆けていった。

思いがけない出来事だった。着ぐるみだからお顔は見えない、
お声も聞けなかった。けれど、優しさと励ましのお心はしっかりと
いただいた。病む夫にも、介護の私にも元気をくださったあひるさん、
ありがとう。


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