パパ。ママ

いつの間にか。。パパは家から実家に移り住んだ。相談したってパパは言うけど、相談されてないよ?
うちが17歳とか微妙な年齢だったから言いづらかったのかな。でもママとは話すべきだったと思うよ?

なにがあってもママはパパを信じてた。支えた。兄弟が病んで看病が必要だったとき、毎日1人で泣くママをあたしだけは知ってたよ。パパに相談したけど、パパは何故か逃げた。

ヒーロー

お互いの両親に大反対され、駆け落ち状態になってしまった

でも私が妊娠5ヶ月の時、夫が婚姻届を出せる状態にして帰宅してきた
毎日仕事帰りに私の実家に頭を下げに行ってたみたい
私は未成年だからと言う事と、「美智まで両親と絶縁になったら…コイツに爺ちゃん婆ちゃんって呼べる相手いなくなるだろ?」ってお腹触ってきた..涙出た
無事、出産を終えて男の子が産まれた
最初は大変だったけど夫のフォローもあって、夜泣きや育児も楽しく乗り越えてきた

いつか、親父の癌を治せるように。

高校1年の夏休み、両親から「大事な話がある。」と居間に呼び出されたんだ。親父が癌で、もう手術では治りきらない状態であると。

暑さとショックで、頭がボーっとしてて、変な汗が出たのを憶えている。
当時、うちは商売をしていて、借金も沢山あった。

親父が死んだら、高校に通えるわけがないことは明白だった。

ありがとう・・・?

もう2年も前の話になる。
その頃俺は医学生だった。彼女もいた。
世の中にこれ以上いい女はいないと思うくらいの女だった。

しかし、彼女は若いのにもかかわらず、突如として静脈血栓塞栓症でこの世を去った。
その時の自分はたぶん相当精神不安定に陥っていたと思う。

天国でも携帯電話が使えると良いなぁ・・・

妹が亡くなって2年の歳月が流れました。
妹からの最後のメールを見て命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛か・・・
白血病に侵され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、12年間苦しむだけで短い生涯を終えた・・・
14才でした・・・。

妹の浴衣

きいちゃんという女の子は、手足が不自由でした。そして、いつもうつむきがちの、どちらかというと暗い感じのするお子さんでした。
そのきいちゃんが、ある日とてもうれしそうな顔で、「山元先生」と言って職員室に飛び込んできてくれたのです。
「お姉さんが結婚するのよ、今度私、結婚式出るのよ。ねえ、結婚式ってどんななの、私どんな洋服着ようかな」と、とてもうれしそうでした。
「そう、良かったね」
と、私もうれしくなりました。
ところが、それから一週間もしないころ、今度はきいちゃんが教室で泣いている姿を見つけたのです。
「きいちゃんどうして泣いているの」
と聞くと、
「お母さんが、結婚式に出ないでって言うの。私のことが恥ずかしいのよ。お姉ちゃんばっかり可愛いんだわ。私なんか産まなきゃ良かったのに」とそう言って泣いているのです。
きいちゃんのお母さんは、お姉さんのことばかり可愛がるような方ではありません。どちらかというと、かえってきいちゃんのことをいつも可愛がっておられて、目の中に入れても痛くないと思っておられるような方でした。
けれどもしかしたら、きいちゃんが結婚式に出ることで、例えば障害のある子が生まれるんじゃないかと思われたり、お姉さんが肩身の狭い思いをするんじゃないかというようなことをお母さんが考えられたのかなと、私は思ったりしていました。
きいちゃんに何と言ってあげていいかわかりませんでしたが、ただ、結婚式のプレゼントを一緒に作ろうかと言ったのです。
お金がなかったので、安い晒(さら)しの生地を買ってきて、きいちゃんと一緒にそれを夕日の色に染めたのです。それでお姉さんに浴衣を縫ってあげようと提案しました。
でもきいちゃんは手が不自由なので、きっとうまく縫えないだろうなと思っていました。けれど一針でも二針でもいいし、ミシンもあるし、私もお手伝いしてもいいからと思っていました。
けれどきいちゃんは頑張りました。
最初は手に血豆をいっぱい作って、血をたくさん流しながら練習しました。一所懸命にほとんど一人で仕上げたのです。
とても素敵な浴衣になったので、お姉さんのところに急いで送りました。するうとお姉さんから電話がかかってきて、きいちゃんだけでなく、私も結婚式に出てくださいと言うのです。