小学五年のとき母親が再婚した。新しいお父さんだと連れてこられた相手には三年生と五歳の二人の女の子。その3人と全く合わない。

221: 大人の名無しさん 02/09/13 05:40 ID:54aQhu3x
小学五年のとき母親が再婚した。
新しいお父さんだと連れてこられた相手には三年生と五歳の二人の女の子。
辛かったよー。
すごい意地悪だったんだよ、その娘たち。乱暴でね。明るい子達だったけど。
私はそれまでの生活がつましかったせいか、ものは丁寧に大事にする子だったのね。
母に以前買ってもらって(私は子供心に家の経済事情とかわかってたので物をねだった事があまりない)
大事にしていたぬいぐるみを下の子に欲しがられて、嫌だ、と思ったけど言えなかったの。
新しい父は、もっと高くていいのを買ってあげるって言ったんだけどそれも別に嬉しくなかったよ。
どーいっていいかわからなかったし。喜ばない可愛げのない子だと思われただろうね。(実際後年義父はそう言ったよ)
とにかくおとなしかった気の弱い私は下の妹が私の「コッタちゃん」(ぬいの名前(笑))にすぐ飽きて、
上の子と一緒にずたずたのぼろぼろに引き裂いて、道路でひき逃げごっことかされてそいで捨てちゃったのにも何も言えず、
夜布団の中で泣いていた。これなんかたくさんある子供にとって辛い出来事の一つに過ぎない。
母親だけにはわかってもらいたかったよ。義父には無理無理。
いわゆる熱血タイプと「自分では」思っていたんだろうけど、そういうタイプは苦手な子供もいるんだよね。
長じてからも義妹達と比べて「暗い!」と責められ続けたよ。
本ばかり読むな、勉強する子より外で泥だらけになって遊ぶ子供の方が偉い!が口癖。
ひたすら辛いし恐かった。暴力とかはなかったけど毎日死にたかった。
誰にもわかってもらえないしね。明るくていい家族達じゃないの!って言われるよ。
大学進学と同時に家を出て、正月にしか帰らない。
どーしても駄目なんだよなあ。

223: 大人の名無しさん 02/09/13 07:32 ID:Ng6CJsBQ
>>221
そんな風に娘を扱わない旦那を221は見つけろよ。
あと、母親とは血がつながっているんだから、ちゃんと孝行しろよ。
がんばれ。

今まで当たり前だと思ってきた家族の優しさ

60 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2007/11/15(木) 09:57:29.13 ID:jEftDiJ40
今まで当たり前だと思ってきた家族の優しさ。
実はちっとも当たり前なんかじゃなかったことにようやく気付いた。
お父さん、最初は反対してたけど、お金のかかる東京の私立の大学に行くことを許してくれてありがとう。

休日も返上で一生懸命働いてくれてありがとう。
お母さん、帰省したとき、いっぱいおいしいご飯食べさせてくれてありがとう。
お母さんが自分のために高いものなんか買ってるの見たことないのに、
「なんか欲しいものある?足りないものはない?」って私のことばっかり気にして…。
いざ会うとなんか恥ずかしくて素直に言えないけど、本当に感謝してます。
ありがとう。

完全に凍った小さな池を見つけてスケート遊びをした。翌日疎まれてる子に場所を教えたら、氷が割れた池にはまって凍死した姿で発見されたらしい。

105: 大人の名無しさん ID:DwXTtRAX
小学生の時、冬場に仲間と近所の山で遊んでいると
完全に凍った小さな池を見つけた。
俺たち5人ぐらいが乗っても全然平気で
その日は陽が暮れるまでスケート遊びをして帰った。
翌日学校でその話題で盛り上がり、
クラスの一人が「場所を教えて」って言ってきたんだが
俺らのグループからちょっと疎まれてる感じの子だったので
誰も教えてあげなかった。

俺はちょっとかわいそうな気がして
帰りがけにそっと教えてあげた。
そいつは「ありがとう」と嬉しそうに笑い、走って帰っていった。

俺が課長からうけた説教がすごすぎるwwwwwwww

1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/07/09(水) 23:43:30.77 ID:4NopDEkL.net
・年取ってからどんな美味しい物食べても体がポンコツだと不味い。若いうちに美味しい物を一杯食べておけ
・一番に出世したかったら、その時一番できる奴のマネをしろ。楽に仕事したかったら、社内の女全員に押し倒してもOK貰える所まで尽くせ。
・30年前に1年一緒に働いただけでも、一緒に働いた縁は仕事を生む。
・合わない奴とは付き合うな。最初合わなかったら年を取るにつれもっと合わなくなる。
・徹夜ができるのは55まで、残業ができるのは60まで。
・仕事はその場しのぎの繰り返し

3: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/07/09(水) 23:44:32.25 ID:NqAbd9l3.net
ぐう有能

外国の人が日本に住んでいて幽霊を見たり、お化け屋敷とかに行ったりすることあるのかな

540: おさかなくわえた名無しさん 2009/08/09(日) 17:14:14 ID:sYEpV4ph
お盆だからこいつも聞いておきたいんだけど外国の人が日本に住んでいて
幽霊を見たり、お化け屋敷とかに行ったりすることあるのかな。

543: おさかなくわえた名無しさん 2009/08/09(日) 20:16:44 ID:C2Rlt+oK
>>540
昔、原宿の一戸建てで破格の格安物件があったらしいが、
安い理由は「出る」かららしい。
イギリス人はゴースト好きなので喜んで3人でシェアして住んでたらしい。

ニートだった俺にいきなり息子ができた話のつづき

1: 名も無き被検体774号+ 2012/09/03 00:28:03 ID:7Xc+XEsx0
◆IkuNl/.uOs
2: 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 2012/09/03 00:35:26 ID:EtMpZT/b0
まだ息子出来ねぇの?
17: 名も無き被検体774号+ 2012/09/03 23:28:50 ID:eIKM3r3t0
ハッピーエンド楽しみだ 
みんな幸せになれよ

30: 名も無き被検体774号+ 2012/09/04 02:21:10 ID:CPzQ5vBY0
付き合うに至ったそのなんやかんやが知りたい訳なんだけど
気になる気になる気になる
33: 名も無き被検体774号+ 2012/09/04 12:27:03 ID:k0EevBQC0
「俺」=タケちゃんではない
「俺」はタケちゃんとギャルギャルしいのの間に出来た子供

考えさせられた

確かに、そのときは悲しみと驚きで泣いた。でも、自分が大きくなるにつれて、「父親との思い出はあったのだろうか?」と思い始めた。
当時、父親は自営業をしており一緒に遊んだり、どこかへ出かけたりした思い出がない。一緒に喋って些細なことで笑ったりしたことはあったものの、そんな思い出はたいして記憶にない。
勿論、感謝の気持ちもない。

つい先日、幼なじみの女友達が結婚式を挙げた。
スピーチのとき「産んでくれてありがとう。今の私があるのも2人のおかげ。2人の子で良かった。」そんな言葉を言った。そのとき、あんなに頑固で無口な幼なじみの父親が人目を気にせず、ボロボロ泣いていた。

ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・

154:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/10/28(木) 02:23:09.19ID:mcA80E5C0
まだ私が小さい頃、父と母がすでに他界していたためおばあちゃんが私と兄を育ててくれていたのですが、 
遠足などある時はいつもおばあちゃんの手作りお弁当を持って行きました。 
でも当時おばあちゃんが作るお弁当はおにぎり2こだったので、 
同級生の子達のかわいらしいたくさんおかずが入っているお弁当がうらやましかったんです。 

お弁当箱もキティーちゃんとかマイメロディーなどのかわいいお弁当箱なのに、 
私は銀紙で包んだおにぎり2つだったので、おばあちゃんに対して 
「こんな変なお弁当つくらないでよ」 
「はずかしいからやだ」とはき捨てたり、せっかく作ってくれてもわざと持っていかなかったり。 
そんな酷い孫に対して、おばあちゃんは決して叱ったりしませんでした。 
そんなある日、1度かわいいスヌーピーのお弁当箱にハンバーグや玉子焼きが入ったお弁当を作ってくれました。 
おばあちゃんなりに他の子達はどんなお弁当を作ってもらっているのか一生懸命考えて作ってくれたのです。 
おばあちゃんは、「ごめんね、かわいいお弁当っておばあちゃんの時代なかったからわからなかったのよ・・・ 
これなら恥ずかしくないかねぇ」としわしわのとても暖かな手でお弁当を手渡してくれました。 
今思い出すだけで、私はおばあちゃんになんて酷い言葉を吐いていたんだろう、 
なんて最低な子供だったんだろうと涙が出てきます。 
おばあちゃんのおにぎりだって、本当はとってもとってもおいしかったのに、 
「おいしかったよ」の一言も言わなかった。 
本当にこんな酷い孫でごめんねおばあちゃん。 
今私は結婚し、子供にも恵まれました。 
おばあちゃんに曾孫を抱かしてあげる事ができ、幸せそうなおばあちゃんの優しい笑顔を見ると 
これがあの頃の恩返しになれば私も幸せに思います。 
うちの子はおばあちゃんの作るおにぎりが大好物なんですよ。もちろん私もです。 
ありがとうおばあちゃん。ずっとずっと長生きして下さい。 
大好きです。 

忘れられない列車旅といえば、はくたかから見た親不知

234 :名無しでGO! :2005/06/26(日) 07:48:55 ID:fJryDXad0
忘れられない列車旅といえば、はくたかから見た親不知、 
末期ガンで昏睡状態の祖母を見舞いに行ったときに 
はくたかの車窓からみた親不知は波1つないべた凪でした。 
しかも冬の日本海で…。 

祖母は会社社長をやっており、仕事の関係で東京に行くことがありましたが 
その道中、私も祖母に連れられ何度も東京につれていかれました。 
足があまりよくなかった祖母は移動に足を使う飛行機、車を使わず 
歩いたり足を使わない少ない鉄道を使っていました。 
私が鉄道に関心を持ち、今、鉄道員になっているのはそんな祖母のおかげです。 
親不知の変遷はこの目で見てきましたが、いつ見ても冬場は荒々しい日本海でした。 
ですが、この日見た親不知は冬の日本海とは思えない穏やかさでした。 
祖母はその二ヵ月後看病の甲斐なく亡くなりましたが、 
あの親不知の景色は、きっと祖母が遠方から来る私の為に見せてくれたのでしょう、 
私はそう信じたいです。